Graff's Diary

ただ「話したい」という原点に戻る

今年に入って読んだ本

ここに書くようになってからは、自分に義務は課してないけれど、読んだ本や見た映画の感想はなるべく書くようにしたいと思っています。

今日は、今年に入って読んだ本の感想を一気にアップします。

 

『低地』

アメリカに移住したインテリインド人という設定はこの人の定番だが、今回はカルチャーギャップには重きをおいておらず、血縁とか夫婦とか、国という概念にとらわれない普遍的な人間の関係性に、よりスポットを絞り込んだ作品。愛し合った夫婦、利害で結びついた夫婦、血のつながった母娘、血のつながっていない父娘。思い返せば彼女の作品はずっとそうだったけど、「結局人間はひとりなんだ」ということを強く意識させられる。  

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

低地 (Shinchosha CREST BOOKS)

 

 

 『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年

これまたいつものことですが、孤独を強く感じる作品。心がつながっている二人を描いても、孤独の暗闇がいつもつきまとう村上作品。彼の作りだす世界や独特の表現は唯一無二だけど、どうしてこんなにも孤独感の強い作品に皆、そして私自身も、惹かれるのかよくわからない。妄想時間における今後のテーマだ。 

 

『64(ロクヨン)』
話は退屈せずに読めたけれど、「何を必死になってんの?」という冷めた感じで読んでいた。主人公がその熱い思いで守ろうとしたり、怒りを感じたりする対象、警察組織って一体なんなん。小説が描いている時間の中で、主人公はほとんど寝てないよね。そこまでする必要あるの?犯人を上げるため、娘を探し出すため、ならわかるけど。彼の熱意の矛先は、この小説の中ではそこじゃないよね。なんか理解できん。  

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

64(ロクヨン) 上 (文春文庫)

 

 

64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

64(ロクヨン) 下 (文春文庫)

 

 

『新釈 走れメロス
最近よく読む森見登美彦。最初はあんまり好きでなかったのに、京都によく行くようになって、親近感を覚えているのだろうか。でも、このばかばかしさが、難しめの本を読む間の息抜きにちょうどいいって感じるようになってきた。小説でこういうコメディって実は難しいと思うんよね。その辺もちょっと見直してきた。 

 

『ハーモニー』
斜め読みした。だって言葉がわからんのやもん。あのタグはなんなん。核戦争(戦争とは違うか)後の世界観としては面白いと思うところもあるけれど、どうしてああいう難しい表現を使わなければならないのだろう。それだけでゲームの世界にいっちゃってリアリティや一般性を欠いてしまうように思う。アーサー・C・クラークが『2001年宇宙の旅』で、誰も覗いたことのない宇宙の果てをシンプルな言葉で表現したように、この世界観だってシンプルに描けばもっとすごみが出たのではないかと思うのだ。 

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

ハーモニー (ハヤカワ文庫JA)

 

 

『ミュージック・ブレス・ユー!!』
津村記久子は、私の好きな作家第一位くらいまで上り詰めてきているけれども、何で好きなのかこれまで整理できずにいた。で、この作品の解説で「何も持たない人たちが主人公」という記述があった。「持たない」ということに具体的な説明はなかったが、権力や金や美貌や特別な能力などという意味であろう。いわゆる人が社会で生きていく中で武器となりうるもの。それを彼らは持っていない。なるほど。でも、私が津村作品に惹かれているのは、逆に彼らが共通して持っているものの中にあるように思う。それではっとした。それは、まっとうな道徳観であり、正義である。それはこの作品の中でも何度となく出てくる。文化祭での男子閉じ込め事件や、たばこポイ捨てお姉さんのバッグに、投げ捨てられた火のついたたばこを拾ってしれっと入れるなんて行為。学校では主流でない彼女たちのささやかな抵抗は、みな「そんなんおかしいやろ」という正しい感性に基づいている。考えてみれば『君は永遠に…』も『アレグリア…』も『エブリシング…』もみなそうだ。昔は、大上段で正義を構え社会悪や権力と戦う主人公たちを描いた映画が好きだったけれど、なんの力も持たない人たちのささやかな正義の行動に心動かされるというのは、年をとったということなのだろうか。 

ミュージック・ブレス・ユー!! (角川文庫)

ミュージック・ブレス・ユー!! (角川文庫)

 

 

『暴走』
安定のディック・フランシス。派手さはないけど、きっちりしているところが好き。ミステリーやサスペンスはそこが大事。この作家を知った偶然を喜んでいる。 

暴走

暴走