Graff's Diary

ただ「話したい」という原点に戻る

演劇を観る

昨年からスポーツジムに行っている。ジムのスタッフで、気さくに声をかけてくれる感じのいい女の子がいて、無駄口をたたいてたら「ジムはバイトで、本業は小さな劇団に所属して女優をしている」という。興味を持ったので、聞いた劇団の名前をググったり、彼女がやっているSNSとか見てるうちに、彼女の情報がどんどん蓄積され、人となりとかもわかってくる。向こうはこっちの情報ほとんど知らないっていうのに。----これって何かストーカーっぽくない?…キモー!いやいや、違う、違う。女優と一人のファンと考えれば、全然普通の関係じゃないか。…でも知ってる人やからなあ。ええんかなあ。何か変な感じだ。


「次の公演あるときに、一度観に行かせてもらうわ」と言ってたら、コロナになってしまって、演劇に関わる人たちの状況が一変してしまう。今後どうやって活動を続け、何をどうやって伝えていくべきか、苦悩し、模索し続けている様がニュースなどを通じて伝えられる。彼女のSNSを通じて、劇団代表の方たちの座談会なども見させていただいたが、状況はかなり苦しそうだ。


そんな中、ライブ配信という形で、再開された彼女たちの演劇を観させていただいた。リリパット・アーミーⅡとZsystemのコラボによる『く・ち・づ・け』という朗読劇。

これもコロナ禍の状況が生み出した作品。活動の制約はもちろんのこと、「ソーシャルディスタンス、キープ!」とかって、演出にも制約がかかってくる状況を憂う作者は、「それなら、そこを逆手にとってやろう!」と思ったに違いない。発想は間違いなく、ラストのあのシーンから来ている。でもラストが浮かんでも、話をそこに集約させるのはなかなか難しい。しかし、さすがは百戦錬磨のわかぎえふさん。昭和初期の貞操観念と禁欲主義からくるドタバタを、ラストに昇華させていく手腕は唸らせる。


途中までが、主役?の二人にスポットが当たる展開ではないので、幾分唐突な感じのラストではあるが、戦争を挟む長い時間経過と一通の手紙で、十分説得力がある。ずっと待ち続ける思い。長い戦地での生活から解放された男性と、”口吸い”の何たるかをも知った女性の、純愛だけにとどまらない、感情の高まったちょっとエロいくちづけは、コロナによって遮られる。笑えるけれど、演劇界の現状を考えると笑えないラスト。やっぱりクラウドファウンディングに出資しよう。


先日ジムで久しぶりに彼女にあった。「観たよー」とかって言ってたら、「今日でジム、辞めるんです」という。劇団の活動で忙しくなって、ジムになかなか入れなくなってきたからだそうだ。「最後にお会いできてよかったです」と言う彼女に「次は劇場で会おう」とさわやかに別れを告げた私だが、ストーカー的なことをやってることは言ってない。いや、ストーカー、違うから。(オフィシャルに公開されてる情報しか見てません。念のため)

 

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