豪華ランチ in 京都
このところ休日出勤が続いていて、やっと落ち着いたので振休をとって、京都のサンタ・マリア・ノヴェッラでランチをいただいてきました。
アミューズ。洋風の茶碗蒸し。キノコのソース。
玉ねぎのスープ。もろ玉ねぎです。
スパークリング、白ワイン、赤ワインと3杯も飲んで、酔っ払いました。
20種類の野菜のサラダ。ちょこっと魚も。
パスタです。アラビアータ。辛かった~。
メイン。嫁さんとシェアして、牛と豚。シェアしない方がよかったかも。
ドルチェ。洋梨とアイスの上に液体タルトというのかけたもの。おいしかった。
写真にないけど、パンが秀逸やったね。あと、ワインも飲みすぎるとよくない。料理がよくわからなくなる。後で頭痛かったし。
『エブリシング・フロウズ』
津村記久子は、彼女のものの見方、とらえ方というの自分に似ているからなんかな、わりと好きで、ほとんどの作品を読んでます。
今回のは『ウエストウィング』に出てきた少年のその後ということらしい。前述のようにものの見方が作者本人なので、子供が主人公だとどうも違和感があります。中坊がこんな大人っぽい考え方してるかな、と。でも、津村氏はこんな感じの子供だったのかもしれない。
話の方は、2つほどサスペンスフルなドラマ展開もあって飽きさせませんでしたし、ジーンとするシーンもあるんよね。
目立つことや、ややこしいことには関わらないようにしようと過ごす主人公ですが、根元の部分はしっかりあって、友達の関係の中で自分ができることは可能な限り頑張ってみるってところが、ちょっとかっこいい。イケてなくても、大勢に評価されなくても、大切な仲間から感謝される人間っていいね。
同じように、目立つこと、ややこしいことを避けまわるうちの次男に読んでほしくって本を渡したのですが、受験で忙しくて読めないとのことで返されました。残念。
向日市ウォーキング
阪急電鉄の『観光あるき』というウォーキング企画*1で紹介されているウォーキングコースのうち、向日市の古墳めぐりコースをたどってきました。
向日は長岡京のあった場所とは思えないほど、坂道が多いのにびっくりしました。町は静かでのどかな感じ。ゆっくり歩くにはぴったりです。
向日神社の参道。なだらかな坂道に木漏れ日が心地いい。境内を掃除するご老人たちの笑い声もなんかよかったなあ。
竹の径。ここもよかったなあ。人も少ないし、竹のさわさわという音に癒される。ウォーキングには最適。
竹の径を降りてくるとお腹がすく時間だったのでイオンモール桂川にいったのですが、人の多さに辟易。ひとりじゃフードコートの席を確保できない。レストランはどこも行列。結局ここで食べるのはあきらめて、地元に戻って食べました。
『ひとりの体で』
ゲイとかレズとかバイなどの性的マイノリティ*1をテーマにしたお話。これまで、あまり関心のなかったテーマ。というか、学生時代にホモ*2の高校生につきまとわれて以来*3、どちらかというとそういった人たちへの嫌悪感を持っている私は、この小説でいうと悪役側になるかな。
で、あらためて考えてみたときに、性同一性障害で苦しんでいる人たちがいることは認識していて、その人たちに対して嫌悪感を持つことは、彼らにとっては理不尽なことであり差別だとも思うのですが、今バラエティ番組とかに大量出没しているいわゆる”おネエ”の人たちの、その部分を前面に押し出してくる強引さとの間にすごいギャップを感じて…いったいこれはなんなんだろうと。
それで頭を整理するためにネットで調べてみたら*4、「性自認」と「性的指向」という言葉があって、それは異なる概念である、と。ふむふむ。
「性自認」とは、「自分は男性(女性)である」という自己認識のこと。「性的指向」とは、性欲や恋愛の方向を表す概念。性同一性障害は「性自認」において肉体の性との差異に苦しむ状態であり、行為としてのセックスとはわけて考えないかんわけやね。”おネエ”たちが前面に出してくるのは「性的指向」の方だと考えれば、一応頭の中は整理できる。
でも、このふたつは完全に切り離せるものじゃなくて、というか密接に関連していると思う。”おネエ”たちも単にふざけてやってるだけじゃなく、裏じゃすごく葛藤している人も多いと思うのです。実際に性転換までする人もいるわけだし。
じゃ、そういう人たちに対して「気持ち悪っ!」って思うのは悪なんでしょうか。いろいろ考えても、「結局それって嗜好なんちゃうの。どうしようもないやん」ってところに落ち着いてしまうのは、自分を正当化しているのでしょうか。
ただ、彼らが行動やファッションで表現している表面上の特異さ*5ではなく、奥の葛藤に配慮できるかってところが重要なんかな。アーヴィングがネバネバと描いている意図は、そこかと。
しかし、エイズ渦ってのはすごかったんやなあ… 今まで発症後の症状や闘病について描かれたものを見聞きしてこなかったから、今回この本を読んで思い知らされた。それに、感染に対する恐怖っていうのもね。トムの家庭のように、お父さんがゲイで感染し、お母さんはノーマルなのに、お母さんにも症状が出てきてしまうという。子供たちは、両親が死んでいくこととだけでなく、自分たちへの感染についてもおびえる。また、息子は父からの遺伝子についても…そこのところは、ホモとかそういうこと抜きにして、ほんと胸が痛んだ。