Graff's Diary

ただ「話したい」という原点に戻る

帰省してきました

前回記事のその後。呉、大洲の友人ともお見舞いのはがきを出したらすぐに連絡があった。どちらも家族は無事だし、浸水被害もなかった、と。なにより、なにより。呉の友人は、携帯の電話番号を知っていたのに、私がそれを忘れていただけだった。彼から電話が来たときに、彼の名前がスマホに表示されて、びっくりした。

大洲の友人とはラインを交換して、すぐに大学の友人仲間のグループラインに招待。みんな歓迎してくれて、毎年夏に集う飲み会にも参加することになった。トントン拍子。きっかけは災害だったけれど、こうして繋がりが復活するのは、うれしいことだ。

果たして、その飲み会で再会した彼は、孫ができておじいちゃんになっていた。素っ頓狂なことばかり言ってみんなにいじられていた彼も、おなかにたっぷりと肉がつき、頑固な人格者の風格を漂わせていた。相変わらずすっとぼけてたけど。

でも、おじいちゃんかあ。うちは二人の息子に全く女っ気がないため、自分がおじいちゃんになるなんてまだまだ先のことと思っていたけれど(ってか、なれるんかなあ)、考えてみたらそうなってもおかしくない年。肉体の衰えは多少あっても、自分が年いったとはあまり思ってなかっただけに、現実を突きつけられた感じだった。もう若くないんや、やっぱり。携帯番号を忘れてたのも年のせいか。

帰省時にこんなこともあった。昼食を食べに家族で外出した際、メニューが読みづらいので「老眼鏡をとって」と嫁さんに頼んだら「預かってない」という。バッグを探してもらったがない。ええっ!私には明確な記憶があった。家を出るとき、財布やスマホは全部ジーンズのポケットに入れて、老眼鏡だけ手に握りしめて出た、その映像と手の感触。それが邪魔だからと嫁さんに預け、それを受け取りバッグにしまう嫁さんの映像。あれは幻だったのか。いやいやそんなことは絶対にない!と抵抗してみたが、メガネがないところをみると、絶対だと思っていた自信が揺らいできた。嫁さんも記憶が曖昧らしいとは言え、もしあれが記憶違いだとしたら、自分の老化も相当なもの。

もやもやした感じで店を出たが、帰りの車内で義母から嫁さんに「家の前の道にメガネが落ちていた」とのメールがあった。道に落ちてたということは、少なくとも持って出たという私の記憶は正しかったことになる。おそらく嫁さんがバッグに入れる際に誤って落としたのだろう。ああよかった、と胸をなでおろした。道に落ちていたということは車で踏んでいた可能性も残るが、そんなことはどうでもいい。家に老眼鏡が残っていた方が私にとってはショックだった。まだそこまで老け込んではいないという面目は保てた。

で、そのメガネのことにも少し触れることにする。先に書いたようにメニューとか読みにくいので、外出にも老眼鏡は欠かせなくなってきたのだが、旅先に持っていって失くしたり壊したりしてはもったいないと、JINSで測って作った高いやつは今回持っていかなかった。持っていったのは百均で買った家置き用の安物。ケースもネットで3百円で買ったもの。結果的にこの判断は正しかったことになる。

義母から預かった眼鏡を嫁さんが笑いながら持ってきた。ケースがぺちゃんこになっている。案の定、自分の車で踏んでしまったのだ。「まあ、百均の安物だし惜しくもないや」と思ってたら、嫁さんがケースから取り出したメガネは、なんと壊れていなかった。なんという逞しさ。百均おそるべし!とおもったら、メガネがすごいのではなかった。3百円のメガネケースだ。ケースの鼻にあたるところの部品が固くてつぶれなかった(高さをキープした)ため、それがメガネを救ったのだ。自分の身を挺して百円メガネを救った3百円のケース。セレブには「はあ?」って話だろうが、私のような庶民にはなんかちょっと泣けるエピソードだ。

救われたメガネをかけて、今この文章を書いている。やっぱり百均。目が疲れてきたので、このへんで。

 

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