Graff's Diary

ただ「話したい」という原点に戻る

暑中お見舞い申し上げます

私たちの小さい頃は、震災といえば”関東大震災”だった。自分たちが生まれるはるか前に起こった地震。なので、阪神・淡路のときは「これが自分たちの人生で経験する一番大きな地震だろう」と勝手に思い込んでいた。しかし、それ以降、特に近年、毎年のように大きな自然災害が起こっている。これはたまたまなのか。それとも、人間の利便性の追求が、間接的に引き起こした結果なのか。猛暑なんかはそうよね。小さいときはこんな暑い日はなかったもの。

大阪の地震は、震源が比較的近かったにもかかわらず、全然被害がなかった。豪雨も、あの週たまたま外出が多く、交通機関で何度も足止めを食らったけれど、そんなの家が流されたり、浸水したりに比べたら、鼻くそみたいなもの。家族がなくなったとか、見つからないとかのニュースは本当に心が痛む。特に子供の。

大学が愛媛なので、四国・中国に友人が多い。年賀状をやり取りしている中にも、呉、大洲に住んでいる人がいて、心配しているのだが、住所以外に連絡方法を知らなかったり、メールもパソコンのもので、出してみたけどいまだ返信がない。Facebookアカウントをとって、メッセージを送ってみたがそれも応答なし。いろいろ調べてみる限りでは、大洲の方は、ぎりぎり浸水は免れていそう。呉の方もニュースでよく出る地域ではないので、被害はないのかもしれないが、生活は相当困っているだろう。おまけにこの暑さ。陣中見舞いに行きたいが、日帰りできる距離でもなく、ただ気をもむばかり。夏休みの帰省時に、どっちかに行かれないか検討中。

我々の学生時代は、携帯も当然LINEもなかったから、こんなときに即座に連絡が取れない。今回結構思ったのは、LINEがあるとすごい便利やなあってこと。地震のときも、LINEに登録している人には、ほぼ全員に連絡して、安否確認ができた。今年会社に入った新人からもすぐに連絡があって、どうしたらいいかって聞いてきたので、自宅に戻って待機しなさいって言うことができた。ここ数年会っている大学時代の友人たちからも、その人たちはLINE登録しているので、すぐに「無事か?」って連絡が来た。

そういう文明の利器の力を感じつつも、一方で、自然界にとって悪いことをしているのではないかとの後ろめたさも感じる、ポリシーのない小市民を過ごしている。

 

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